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第6回リア王に学ぶ―老後の住まいと暮らし方
2002.12.05

リア王に学ぶ――高齢期に暮らし方
林 けい子
21世紀の日本で、最期まで失敗のない人生を全うするにはどうしたらよいか、シェークスピアのリア王をテキストに、お話しましょう。
シェークスピアは、イギリスで、エリザベス1世の頃、劇作家として活躍しました。亡くなったのは徳川家康と同じ1616年です。当時のイギリスは、数世紀のあいだ永遠にびくともしないとみられていた古い、封建的な世界が、新しい資本主義的関係によって、その土台からゆすぶられはじめていた時代でした。

3人の娘を持ち、権力の頂点にあったリア王は、齢80歳となり、王国を統治して行くのに疲れを覚えます。そうだ王国を娘に等分に分割して統治させ、楽隠居しよう。とする場面から舞台がはじまります。
 
領土を分け与えるにあたって、均等にこだわったのは、3人の娘達が配分をめぐってケンカをしないようにという配慮があったからでしょう。
どこの親でも、子供たちがケンカをしないことを一番に望むものです。
そのためにリア王も、親の目が黒いうちに領土をそれぞれ生前贈与したわけです。
その時、これだけの大きな財産を分け与えるわけですから、そのプレゼントの大きさを実感したかった。娘達から、「ありがとうお父様」と感謝の言葉を受けたかった。そして娘達から愛され、慕われている自分自身を実感したかったのだと思います。
これが、第一の後悔の種になります。

リア王の思い違い一つは、3人の娘たちは当然自分への愛情を誓うであろう。
つまり親と同じ価値観だと思い込んでいました。ところが娘たちは、親とはまったく違った価値観の女性に成長していたのです。
二人の姉たちは、一族の結束や愛情といった、リアが全盛の時代には国の安泰とも一致していたであろう価値観よりも、個人の利益の方を重要視するようになっていました。
一方の末娘のコーディーリアも、我が身の利益のためにはおべっかも平気という姉たちへの批判意識をしっかり身につけ、父親と対立してでもその信念を貫こうとするしっかりした女性に成長していたのです。
引退を契機に、リアが名実共に王として君臨していたころには表面に現れなかった価値観の対立が、表面化することになります。
ここでリア王は2つの失敗をしています。
一つ目の失敗は、力を失うということがどういうことか、リア王は正確に理解できていなかった。
この問題は、多くのご家庭の中にも潜んでいます。
子供たちは成長すれば自分の時代、環境にふさわしい価値観を身に付けます。しかし父親が現役で仕事をしている間は、あまり表面に現れません。父親が退職し、次第に力を失い、頭を抑えるコワイ存在でなくなると、それぞれが自分の価値観、利己心で行動するようになります。
2つ目の失敗は、だれが本当のことをいっているのか、情報の真贋を見抜けなかったことです。
末娘のコーディーリアが、「結婚するのであれば夫を愛さなければならない。心も、お世話をする心心配りも半分しか父親には差し上げられない。それでも親を愛せと言われるのなら結婚はできない」、と親を批判するような発言までします。頭にきたリアは、勘当だと、末娘を追い出してしまいます。

ここでクエスチョンです。話は現在の日本に戻ります。
皆さんは、息子あるいは娘から、「お父様の介護が必要になった時、自分の夫を放ってもお父様の介護をします」という回答が返ってきたら、どう反応されますか?
「そんなに親のことを思っていてくれるのか」、と喜ばれますか。
それとも、「配偶者より親を大事にするという子供の家庭は大丈夫だろうか」と心配されますか?

回答の前に、ちょっと核家族について説明します。
今、日本では多くの家庭が、核家族と呼ばれる形態をとっています。
これは、夫婦と子供から構成される家族形態です。
戦後、新憲法下で、「結婚は両性の合意に基づき」と、本人が結婚の主体者として明文化されます。同時に、アメリカの占領政策は、新しい理想の家族のイメージとして、アメリカのホワイトカラーの、いわゆる中産階級の、対等な関係を結んだ男女、愛し合う夫婦と、その子供からなる家族をモデルとして日本に持ち込みました。(そのイメージはさらにヨーロッパの近世のキリスト教社会まで遡れぼるのですが、ここでは深く説明しません。
皆さんは、結婚式で、「両親への花束贈呈」をご覧になったり、ご自身、体験されたことがあるかと思います。
子供たちが、今まで育ててくださった両親へ感謝の気持ちを贈るというセレモニーには、どんな意味があるかご存知ですか?

両性の合意に基づいて形成された夫婦が「家族をつくり」、その家庭は、子供の養育・教育を行うことが重要な仕事となります。そして子供が自立し、結婚して家を出ることによって、その家庭の責任と義務は終了するのです。結婚式で、子供から親へ花束を贈る行為は、まさに一つの核家族が、社会に対して責任を果たしたことの表明なのです。これは日本の婚姻史上、画期的なできごとなのです。

核家族の説明はこれぐらいにして、先ほどの質問にもどりましょう。
核家族では、結婚した夫婦は、まず配偶者を愛し、自分達の愛の結集である子供の養育の責任を果たすのが第一の務めです。ということは、配偶者より親を大事にする家庭はうまくいかない、ということを皆さんはもうご存知だと思います。
リア王に向かって、コーディーリアはハッキリ言っているのです。
「いったいなぜ、お姉さま方は夫君をお持ちになったのでしょうね」と。にも関わらず、リア王は、上の二人の娘のウソが見抜けなかった。
甘い言葉は心地いいものです。何か下心のある言葉にはたいがい甘い蜜が塗ってあるものです。情報の質を吟味しなかったところから、リア王の後悔が始まります。
老後は、子供たち、息子の妻、娘の夫、孫、その他、色々なかかわりの方から情報がもたらされます。そこには遺産がからむ思惑があることを認識して、どの情報が正しいか、自分の老後を託すに値する情報かを選別する力がなければなりません。リア王の教訓、その1です。

結局リア王は、3女に与えるはずだった領土も、二人の娘に分け与えます。
そして「これからひと月ごとに、二人の所に逗留するから、その間は大事にしてくれと」と。悠々自適の隠居生活が始まるはずでした。

これは、遺言で死後に子供に託すことを、生前にやってしまったわけです。
しかしリア王も、なにもかも手放すのはやはり不安があったと見えて、国王の名と騎士団100人は手元に残しておきました。
しかし権力を維持し、生活の基盤となる領土などはすべて丸ごと与えてしまっているので、護衛の騎士団も自分では養えません。
リア王は、これだけたくさんの財産を与えたのだから、娘達のところで護衛の騎士団100人ぐらいは養ってくれるだろうと甘いことを考えています。
ここでリア王は2つの大きな思い違いをしています。
一つ目は、どんな大きな財産でも、与えてしまえばその人のもの。
自分のものになった財産が、自分にかかわりのない出費で減るのに、人は耐えられないものである。
そのような経緯の中で、リア王は100人の騎士団を長女の所で半分に減らされ、結局ひとりもいなくなります。
もし皆さんも、最後までベンツを乗りつづけたいとお考えでしたら、その税金や車検、ガソリン代などは自分でまかなえるよう、経済基盤は確保しておくこと。いくら多額の財産を生前分与していても、子供たちは出してくれないと、心得ておいたほうがよろしい。リア王の教訓、その2です。
ここで、物品、財貨の贈与にからむ問題をお話します。
よく二世帯同居住宅を建てて、不動産の名義を息子に書き換えたとたん、「子供たちが親をないがしろにするようになった、…」、という話をお年よりから聞きます。同じ問題を、子供の側から聞くと、「そんなに扱いが変わってはいない。それなのに親達は、…」。
ここには、贈与する側と、受ける側の微妙な温度差があります。…の部分を翻訳すると、「これだけあげたのだから、何でも言うことを聞いて当然だろう」という贈与した親の側からの声。「不動産名義を書き換えるのに兄弟も納得してくれて、ちょっとホッ。お父さん、そんなに言ったって仕事も忙しいんだから、ちょっと待ってよ」、という子供世帯の声。
このちょっとした温度差を乗り越えられなくって、親子間のトラブルに発展した例は少なくありません。両者の間にはこうした温度差があることを知っておけば、言葉尻にたとらわれることなく、事態を客観的に対処することができるのではないでしょうか。こうした問題を客観的に処理できなければ、2世帯同居はできない時代が来ているのです。



もう一つの失敗は、住む場所を確保しておかなかったこと。
「これからひと月ごとに、二人の所に逗留するから」、とお客様のように大事にしてくれることを期待しています。
住む場所の問題は非常に重要です。
リア王の場合、ひと月ごとに娘の館に逗留するという。これは最悪の選択です。表現を変えれば、居候です。けれどリア王は、娘の館も自分の城と思っている。これではどんな温厚な娘夫婦であってもうまくいくはずがありません。
小説ではことさら二人の娘の悪人ぶりが描かれていますが、私達の生活に当てはめて考えてもごらんなさい。
普通、家族生活というのはひとつのルールに基づいて運営されています。食事やお風呂の時間とか。それが1ヵ月ごとに来られたのでは、お客様として扱うのか、家族としてのルールに従ってもらうのか、困ります。他の家族に対しても規律が保てません。
住む権利のない家は遠慮が発生します。遠慮がない人は、その家庭のリズムを壊し、迷惑がられます。
例えば、その家の子供が毎日見ているテレビ番組が、おじいちゃんが来ることによって、ニュースや相撲で占領されたのでは、孫達も怒り出しますね。お客様だからと我慢させたとしても2、3日が限度ではないでしょうか。

余生を心置きなく、家族に大事にされて過ごしたいという、これは誰もが望むことですが、リア王はその基盤を自分で捨ててしまったわけです。
経済的な基盤と、住む場所は絶対、自分で確保しておかなければなりません。力を失ったとき、その意義は大きくなります。
高齢期、どこに住むかという問題は、介護の問題と合わせて重要です。
第2.人生は90年で設計
それでは現代の日本に戻って、どんな老後対策をたてたらよいか考えてみましょう。
考え方の基本は、年齢と体の状態を知り、体の状態に合わせた生活をどのようにプランニングするか、ということです。
いつ頃介護が必要になるかといった個々の問題は予知できなくても、平均的な変化を把握しておけば、その流れの中で、全体より体調がすぐれているか、いないか、自分自身がどのような状態かは把握できるのではないでしょうか。
まず年齢と体の変化についてみてみましょう。
資料1をご覧下さい。@平成13年の日本人の平均寿命は、
男性78.07 女性84.93
それでは85歳くらいで貯金を使い終わって亡くなるとちょうどいい
と人生設計を立てると、不足がでます。
ここでクエスチョンです。
今60歳の女性は、これから何年、生きると思いますか。
平均余命でみると27.13年、87.13歳まで生きることになります。
日本人女性の平均寿命の84.93歳というのは、生まれたばかりの女の赤ちゃんの平均余命のことです。
すでに人生の第2コーナーを元気に回った方は、ますます元気と計算して平均余命を算出します。
例えば80歳のおばあちゃんにいたっては、まだまだ10.80年生きつづける可能性があるのです。90.80歳までお生きになる。人生設計は平均余命で行ってください。すでに60歳になっておられたら、90年で人生設計しておいたほうがいいですね。

次に、人生の質について検討してみましょう。
WHOが平成12年6月に健康寿命を発表しましたが。そこでの数値は、日本人男性が71.9歳、女性は77.2歳。平均74.5歳で世界191カ国中第1位です。
ご近所のお年よりの方を思い浮かべてください。旅行だ、温泉だとよくお土産を持ってきてくださった方で、最近あまりお土産が届かなくなった方はいらっしゃいませんか。
そんな方の年齢を考えてみてください。70歳を過ぎていらっしゃいませんか。
それまで元気に暮らしていた方も70歳を過ぎた頃から体力が落ち始めることを健康寿命は物語っています。これを見越して、体力のいることは70歳くらいまでに済ませておいたほうがいい。

平均余命と健康寿命の差、日本人男性は約6.1年、女性は約7.7年。この期間が、治療や介護を受けて、日常生活に支障がある期間なのです。もちろん個人差はあります。
この男女平均、約6.9年間に起こること。介護や病気を想定して人生設計をしておくことが大事なのです。

それでは平均寿命と健康寿命の間の、約6.9年間にどんなことが起こるのでしょうか。
配偶者の喪失がもっとも重要な出来事です。喪失の前に入院や介護が発生します。

男性の場合、75歳〜79歳ではまだ44.1%の方が奥さんと二人暮らしです。
夫婦揃って、子供と同居している方が36.1%。
奥さんが無く、お父さんだけが子供世帯と同居している方が6.6%。
配偶者がなく、一人で暮らしている方が5.9%。

これが、80歳以上になると少し変化します。
まだ33.1%の方が奥さんと二人暮らし。
夫婦揃って子供世帯と同居している方は36.4%あります。
この間、一人暮らしの方が、16.7%と、約10%増えています。
つまり男性は、ご自身の年齢が80歳を超えて、奥さんを亡くされる方が多いということです。介護や看取りを奥さんにしてもらう方が多いということです。

一方、女性の場合はいかがでしょう。
75歳から79歳の方で夫と二人暮らしの方が18.6%。
夫と共に、子供と同居されている方が23.1%。
男性の同年齢層と比べると、奥さんが75歳以前に、ご主人を亡くされている事が分かります。
80歳になればどうかといいますと、
夫と二人暮らしの女性はわずか6.1%しかいらっしゃらない。
お子さんとの同居の方は63.5%と約28%も増えています。
80歳の女性の平均余命は10.80歳ですから、10年以上、子供の世帯と同居することになります。

先ほど核家族のところでもお話したように、核家族というのは男女からなるカップルを基本形とします。子供世帯との同居も、親世帯がまだ夫婦揃っている間はうまくいきやすいです。しかし親世帯の一方が亡くなると、核家族としてのバランスがくずれて、うまくいかなくなることが多いようです。

さて最後に、リア王も失敗した住居の問題について考えましょう。
リア王の場合、正当な権利を主張できる住まいを持たなかったのも大きな失敗でした。
皆さんは今までの人生でいろいろな住まいを経験されたと思います。
学生時代の間借りや社会人1年生のアパート暮らしこれは賃借権ですね。
結婚して初めてのマンション暮らし。
子供も自分の部屋が欲しいと言い出す頃一戸建てに住み替え。持ち家と言われるものは所有権です。賃借権、所有権の住まいをこれまで経験されたと思います。
高齢になって初めて経験するのが、終身利用権です。
かつて厚生省が、終身利用権を高齢期の住まいとしてふさわしいと判断した理由は、高齢者に必要な介護を廉価に供給できるシステムであり、災害などで建物が被害を受けた場合、多額の補修費を負担しなくていいという点をあげています。
また利用者本人の死去にともない利用権は消滅するので、後始末の必要がないので一人暮らしの方などには便利です。子供がいても、リア王のように子供たちが遺産で争うのを避けることができます。子孫に美田を残さずという生き方ですね。
一方、逆に少しでも多く財産を子供たちに残したい方には不向きともいえます。
終身利用権は、高齢者の住施設としてはじめて経験されることになると思います。
施設の種別として、有料老人ホームのほか類似施設も終身利用権として販売されています。類似施設とは有料老人ホームに類似した施設という意味です。
終身利用権の場合、個々の施設によっていろいろな契約事項が決められていますから、決め付けず、思い込まず、それぞれ契約内容を確認することが大事です。検討段階で重要事項を見せてくれと頼まれるといいです。
以上、高齢期の問題を、リア王の例をあげつらいながら、ほんの一部ですが眺めてみました。後悔先に立たずとリア王も言っています。皆さんも、教訓をいかして、後悔のない老後を送ってください。
(本稿は、2002年11月26日、宝塚エデンの園主催「リア王の後悔―-日本の場合」(逆瀬川アピアホール)の講演に手を加えたものです。文:林 けい子)



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